さとまも談義|テクノロジーと体験とアートと

テクノロジーとビジネスと人の関係性にずっと興味があります。アートやダイバーシティのキーワードも含めて、世界がどう変わっていくか、変えていけるかをお酒を飲みつつ考えるブログ

10ヶ月の振り返り

コンサルタントとして仕事をするようになり、早いもので10ヶ月が経とうとしています。現在、入社してから3つめのプロジェクトで活動中ですが、段々と会社の文化やコンサルティングの仕事に慣れてきたように感じます。

最初のプロジェクトで「考える」ということや、パワーポイントの基礎を学び、
次のプロジェクトでは、念願のIT戦略に携わり、自分のデータ分析能力の未熟さ(というか持ち合わせていなかった)や仕事への取り組みについて見直す機会になりました。おかげさまで、今は自分が取り組むべき欠点は明確になり、新しい仕事の中で、意識して強化に励んでいます。

できるようになってきたこともいくつかあり、「アウトプットに執着を持つ」、「考え方を考える」、「常に全量を把握し、要件を捉える」というあたりは他のコンサルタントと勝負しても戦えるレベルになってきたように感じます。

何よりの進歩だと感じるのが、「未知の出来事に出会っても、臆することなく、精度の高いアプローチを構築できる」ようになってきたことでしょうか。以前は知らない技術、組織、プロジェクトに対しては、分からないから分かるように勉強・情報収集してから…と考えていたのですが、最近は必要最低限の情報を仕入れたら、まずは最初に粗々しい結論を導いて進み始める、ということに恐怖心がなくなりました。

コンサルティングの仕事は、まずほとんどが未開の問題を切り開いていく仕事なので、知らなくても結果にたどり着ける、という能力が求められているように思います。外から見ていたときは、物知りな専門家がキレイなパワーポイントの資料を描く、というのがコンサルタントなのかなと思っていましたが、全然違います。専門知識は武器の一つではありますが、コンサルタントとしての本質ではありません。

ようやく、スタートラインに近づいてきたなーと感じる今日この頃です。

そろそろ、ブログの更新も頻度を上げていき、ここから描く急成長のカーブを、振り返れるようにしておきたいと思います。

カワイイ論

「カワイイとは領域ではなく「力」である。意味を規定する固定的な枠組みでなく、新しい意味を生成し続ける力。」
(Web Desinging Vol.127、デザインジャーナリスト 藤崎圭一郎)

僕が感じるカワイイも、共感を表す一つのコンセプトなのだと思う。
クール、という表現があるが、カワイイというのはもっと広範囲にわたる「好感を持って許容されるテイスト」のようなものではないか。
美しいやカッコイイ、というのはなんだかヒト事というか、自分の外の世界を感じさせる。ところが、カワイイはなんだか身近で、自分もそのコンセプトを共感し・理解している状態。そんな違いはきっとあるんだろう。

もともとITエンジニアな僕としては、IT業界とカワイイについて考えないわけにはいかない。
IT業界はカワイイとは一見すると対局に位置しているようにも感じる。もちろん、ゲームやwebの分野では、このカワイイもしくはクールという概念は、この上なくビジネスに影響を及ぼす要因として重要であろう。そこは理解している。
一方で、銀行の営業店端末のUI(ユーザーインタフェース)を、キュンとするようなカワユイデザインに変えてみたらどうだろうか。
……うーん、僕なら「そんなことに金使うな」と一蹴してしまう(笑)
業務効率化を目指すシステムにおいて、UIは効率的に操作ができること、間違えにくいことなどが重要な機能要件になるため、カワイイの入り込む隙間を見いだすのは正直難しい。
優れたアーキテクチャを設計・構築しても、カッコイイと思うことはあっても、カワイイと感じることはないと断言できるし。
プログラムを書く方々は、コードに愛着もしくはカワイイを感じる瞬間があるのかもしれないけども……。

いずれにせよ、IT業界とは縁遠いとしても、カワイイを感じるものって、ここ数年でずいぶんと増えてきたような気がする。
それは自分の感性アンテナが、やっとそれを感知できるようになっただけかもしれないし、時代が確かに変わってきているのかもしれい。ファッションでは昔からかもしれないが、昨今は工業デザインにおいても、カワイイデザインが優勢を誇ることが多いと感じている。なんか丸っこいものが多いですよね。洗練、という印象を与えるモノもあるが、やっぱりカワイイなんだろうなぁ。

なにはともあれ、これだけカワイイを感じ取れるようになったのも、年の功なのかな、と。価値観が広がっていく、という感覚は、なかなか新鮮で面白いものですね。

Today's my reflection

We must anticipate own tasks beyond the next step.
Everyone can execute that is commanded from others.
In the same way, you can deal with next expected activities, if you are considerate person.
However it is not everyone to anticipate own(or team) activities beyond further more that.
Because of that, I want to be a such professional.

(日本語)
今日の反省

自身の作業後の次の次を見越して、手を打たなくてはならない。
言われたことは誰でもできる。次の一手は気が利けば打てる。
次の次の手が打てる人はそうそういない。
そんな人になろう。

ブログのタイトル変更

ブログをそもそも集約しようかと検討中なのですが、とりあえず本職に合わせて、タイトルを変更してみました。

ブログマネージメントもなかなか悩ましい。
使い分けるのは面倒だけど、実名との切り離しを狙うなら意味はある。
切り離さないなら、統合が一番良いのだけど。
今年の課題であり、さっさと決めちゃいたい事項の1つ。

2012年の抱負など

2011年は世間も自分も色々と苦難や転換期を向かえた1年だったと思います。

2012年の抱負は、「原点回帰」です。
思い悩み、もがきながら進む道を探した2010年、2011年。
一歩前進した今は、もう突き進むしかない!
愚直なだけでもダメで、確実に成果を上げながら、一歩ずつ進む必要がある。
今までの「人と違うことをする」視点や「体力」を見つめ直し、パワーアップしていこうかと。

大事な達成目標は、以下の二つ。

本業にて、コンサルタントとしての実力を身につけ、成果を積むこと

成果がなくては、意味がなく、実力がなくては先に繋がらない。シビアに真剣に取り組まないと。

ライフワークとしてのコンサルティングの充実と成果

本業以外のコンサルティングワーク(プロボノ活動)も、貢献という観点での成果をしっかり残すことが、自分の実力や経験になるはず。

One More Portion…

あとなんか、面白い企みをしたいと思いますが、こいつは走りながら考えます。

今年もたくさんの友人・知人と一緒の時間を共有して、お互いに刺激や幸せを分け合っていけるように祈っています!
みなさん、今年も思いっきり前進しちゃいましょう☆

『役に立つ一次式』 整数計画法「気まぐれな王女」の50年

本書では、オペレーションズ・リサーチの手法の一つである整数計画法の発展について、著者である今野氏自身の研究の歴史と紐付けながら解説されている。数学研究者の世界というのは、僕自身も想像がつかないが、極めて優秀な数学的素養を持つ人たちの集まりであるようだ。大学時代の数学科の卒論発表を聞いた際に、解説された証明が「ちんぷんかんぷん」だったことが思い出すと、頷くほかない…と、納得。

ORって?

さて、聞き慣れないカタカナなので、説明しておきましょう。オペレーションズ・リサーチ(以下、OR)とは、数学的・統計的モデル、アルゴリズムの利用などによって、さまざまな計画に際して最も効率的になるよう決定する科学的技法である。
(Wikipediaより出典)
ORの大きな目的の一つは、現実の問題を数学によって解決、もしくは最適化すること。いわゆる、証明や数式と格闘するだけではなく、社会人として我々が直面するビジネス上の課題解決に適用できる点を僕自身はけっこう気に入っている。分かりやすい例だと、ナップザック問題が有名かつ理解しやすい。限られた選択肢の中で、ある目的を達成するために最大の効果を得るには、どのような組み合わせにすべきか、という問題を解決できる(数式上の表現とは異なるが、やりたいことはそういうこと)。

本書の内容は、僕のような素人に向けて、ORがどのように育ってきたのか、何故現在になって再度注目を集めてきたのか、という疑問に基本的な答えを与えてくれる。整数計画法については、どのようなものかの概要を知ることもできるだろう。
よって、整数計画法って聞いたことあるけど、何なの? という方は一読してみることをお勧めしたい。さらに詳しい内容に興味がある場合には、だいぶ物足りない内容かと思う。

ビッグデータなのか最適化なのか

昨今、IT業界では「ビッグデータ」という流行語があり、大量に蓄積された構造化/非構造化データを分析し、経営判断の高度化を目指すという一つの方向性が謳われている。これはどちらかというと、統計分析やデータマイニングテキストマイニングといった技術を適用し、大量データ(テラどころか、ペタを超える!)を分析することと、それだけの分析を実現するためのコンピューティング環境を如何にすべきか、という論点で盛り上がっている印象。特に、IT業界人はコンピュータが好きなので、後者が熱いのかもしれない。
一方で、ビジネス側の視点では、企業に分析スキルが備わっておらず高度な分析を実施し、業務へフィードバックするというプロセスが実現できないのではないか? という点が、この手のソリューション普及を妨げる一つの課題ではないかと考えている。それよりも、人間の頭で解決しきれない組み合わせの最適化を解決する方が投資対効果が良いのではないかと、前職でソリューションを検討していた頃に、ずっと考えていた。
データを分析した結果というのは、鉱脈が見つかる場合もあれば、思ったほどの資源は得られない場合もある。もちろん、ORでも実時間以内に計算できない、であるとか解がないという結果になってしまうなど、検証してみなければ分からない点は多々ある。

お金になるのはどちらなのか……。なかなか結論は出ない。
ただし、スマートシティやインテリジェンスな世の中を実現するためには、間違いなくどちらも必要な技術であり、今後も発展していくことは間違いない。

まとめ

こうして考えてみるに、分析・最適化ソリューションというのは改めて実現して効果を出すまでの道のりが険しいな、と思わざるを得ない。とはいえ、そこを打破していくのが人間の力だし、知惠の出しどころ。難しいことを避けていてはイノベーションは産まれない。
実務でORに携わることはしばらくなさそうだが、引き続き、情報にはアンテナを張っておこうと思う。

日本語がきちんと書けますか?

7月のホットだった話題−−「日本語の精度」。
仕事をしていると、かなり色々な文章と遭遇するわけですが、理解しやすいもの、全然意味が分からないもの、意味は分かるけどリズムが悪い…などなど、書けて当たり前のはずなのに、人によってずいぶんと表現力や文法力が異なるものです。
僕自身は一番得意な科目が国語だったくらいなので、作文は嫌いではないのですが(上手いかどうかとは別です)。
先日、同僚の資料をマネージャーと一緒にレビューしていたのですが、第三者として冷静に見ているおかげか、ツッコミどころをたくさん発見してしまいました。自分の資料になると勝手な思い込みや前提のフィルタをかけてしまって、ここまでアラ探しできないので、いよいよ気をつけないといけないな…と内心考えていました。
客観性を得るために数日寝かしてからレビューするというのは、とても有効ですね。

ではなぜ、ここまで文章が上手く書けないのでしょうか。たぶん、ちょっとしたコツなんだと思うんです。僕が気をつけている点を3つだけ挙げるなら、

  1. 余計な修飾・言い回しをそぎ落としたときに、伝えたいメッセージが崩れていないか確認する
  2. 「何を伝えたいのか、あるいは聞き手は何を期待するか」を意識して1.のメッセージを考える
  3. 書いた文章は時間をおいて数回は見直す


それほど変わったことはしていませんが、見直しを複数回やるだけでも、ずいぶんと洗練されてきます。そのための時間をスケジュールするのが、勝利への鍵なんじゃないかな、と思ったりしますが。
あと、たいがい分かりにくい文章を書いている人は、ごてごてと回りくどい言い回しをしてみたり、「〜〜等」だとか便利ワードを深く考えずに挿入しまくっていることも特徴かもしれません。なぜシンプルにしないのか、と。文章もプレゼン資料も、基本はKISS(Keep It Simple, Stupid)を意識すべきでしょう。メッセージが正しく伝わる最低限で単語や表現を見直す意識があるだけで、ずいぶんと変わってくるはずです。
日頃から書いているちょっとした文章−こういうブログやメールでも、伝わりやすいか、意図を伝えるに足る文法や表現が使えているかを確認することが大切なのかもしれません。今の若い世代は、メールやブログのおかげで文書を書く機会には恵まれているはずなので。